「訂正する力」を読む

読書

 この本の中にある言葉「多様性はゼロがイチかの選択ではありません。結局のところ、それぞれの国の文化のなかで、伝統を残しながら、それをどうアップデートして未来につなげていくかという発想で進めるしかない。」にとても感銘を受けた。

 確かに、今の世の中で常に疑問に思うのは、ゼロかイチかに塗り分けてしまうことかもしれない。私は、日本の天皇制度に好感を持っており、昭和天皇、平成天皇、今上天皇、全て大好きである。日本の伝統文化の象徴ではないか、と思っている。いろいろ言われている昭和天皇であるが、彼だから日本国民を玉砕させることなく、無条件降伏に突き進んだ、と確信している。もし、彼が「特攻隊」を創設した兵隊一人ひとりの命を何とも思っていない人だったら、最後まで戦って日本国民に大多数を死に追いやった、と思う。これを論じると、右からは多少迷惑な顔をされ、左からは疎まれる。さらに、原発の稼働には大賛成である。資源のない日本が経済発展するにはエネルギー問題を抜本的に解決しなければならず、化石燃料を使って二酸化炭素を排出するエネルギーは最終的に枯渇してしまう。これを論ずると、保守派は喜び、革新派は憮然とする。そのとき、私は原発反対派の人に言う、「家で電気を使わずに生活できますか?エアコン、冷蔵庫、洗濯機なしで幸せな生活を送っていますか。」と。これを言うとみんな「そんな話しをしている訳ではない。」とみな渋い顔をしながら怒り出す。そのような人たちも地球温暖化問題を何とかしなくては、と考えているようで、明らかな矛盾である。

 しかし、私の生まれ故郷は小樽、そう、小林多喜二が生まれ育った所です。私は、日本共産党に対して、大多数の日本人(多分、米国の赤狩りの影響か、と思うが・・・)が持っている「共産」アレルギーはなく、むしろ戦前戦後から一貫して戦争反対を言っていた日本共産党(小林多喜二は特高によって虐殺されたが・・・)をすごいと思っている。日和見主義の人たちに比べたら、最後まで主義主張を曲げなかったこの党は大したものだ、と思っている。

 が、この「訂正する力」を読んで、右も左も訂正する必要があるだろう。日本共産党は、唯我独尊、という考えが、日本国民が持つ「中国共産党」への違和感に繋がって、「共産」アレルギーは払拭されないだろう。今こそ、訂正する力が必要なのだろう。公明党も与党になって甘い汁を吸っていて、それから離脱できないんだろうな、と感じている人は多いと思う。平和を愛する党、自由よりも平等を愛する党、としての理念を捨ててしまえば、いつか大多数の人から見放されるのでは、と思う。自民党はしたたかである。以前、日本社会党を取り込んで、最終的に潰してしまった党である。今度は、なかなかつぶせない党よりは、簡単に潰れそうな党を与党に取り込んでしまうのかな、と予想する。

 とにかく、〇か×か、という世の中よりも、多少の△があった方が過ごしやすいだろうな、というのが、この本の読後感である。

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