最近読んだ本で他人にも勧めたいのが楡周平の「限界国家」であるが、その感想はまた今度の機会にして、今日は、中野信子の「ペルソナ」についてである。本屋で偶然目にとまった「脳の闇」から始まって、「生贄探し」「サイコパス」「ペルソナ」と立て続けに読んでいる。今日はその「ペルソナ」の一説に、なるほど、と納得したことについてである。
「原則として親子の問題は、他人が立ち入るような問題ではないと私は思う。水族館の水槽の外から観察していてもらうくらいのことは構わないが、それ以上のアドバイスは求めない、不要である。という以上に不快だ。」
「そういっても大上段に構えて何か言ってくる人がいるかもしれないから、もうすこし強めに申し述べておこう。」
「アドバイスを不用意に投げかけてきた、ということは、つまり、こういうことではないだろうか。あなたは、「『あなたが3秒くらい考えただけの思いつき程度のアドバイス』を、これまで何十年も思いつかなかったような低脳」だと、私のことを思っている、ということになるまいか?もしそうではなく、私が経験と思慮に欠けていて、実態としてあなたの智慧を必要としている状態にあるのを見るに見かねて、ということなら、謝罪しなければならない」
「当人がその親を愛していて、親も当人のことをその親なりに愛しているのなら、当人である私以外の人間に判断する権利はないということをあらかじめ強く言っておきたい。」
私は今でも高校の教壇に立っているが、人によって多少の個人差はあるが、疾風怒濤のような高校時代を経験した人は多いのではないだろうか。私もそうであったが・・・。で、現在「毒親」という言葉が広い通りを堂々と歩いている。若い人から相談らしきものを受けたとき、「そろそろ、親離れ子離れ、した方がいいかも」と言いそうになる、が、ぐっと堪える。それは何故か、というのを明確に表現してくれたのが、この「ペルソナ」の一節であった。親子の関係については、決して上から目線で述べてはいけない、ということである。


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